大内義隆関連エントリー

大内義隆

1547年5月22日(天文16年)、大内義隆が派遣する遣明使が奈留浦を出航する。 大内義興の長男。北九州などに勢力拡大を図る。晩年は文化的傾向が強く、海外貿易などで得た富も重なり ... 京都天竜寺の策彦周良が正使。最後の遣明船派遣となる。 大内義隆

大内義隆

大内義隆

... 眼鏡は「老眼によい」というようなことが、「大内義隆記」に書いてあるらしいので、ご本人が試してみたかもしれないでしょう? 当時、義隆さんは、45歳ですから、そろそろ・・ね。 ... 大内義隆さんがザヴィエルから眼鏡をもらったのが1551年ですが ...

大内義隆

大内義隆公の菩提寺・龍福寺

... おじさんが休んでいます(^^ゞ 毛利隆元は14歳で大内氏の人質として山口へ送られ、 大内義隆が烏帽子親となって元服しました。 たいそう義隆には可愛がられたようで、 義隆の養女の大内氏重臣・内藤興盛の娘と結婚しています。 ...

大内義隆公の菩提寺・龍福寺

大内義隆

大内義隆(1507-1551)大内義興の嫡男。母は内藤弘矩の娘。亀童丸・大内介。左京大夫・周防介・筑前守・太宰大弐・左兵衛権佐・兵部権大輔・伊予介・侍従・兵部卿。 ... 大内義隆は、永正4年(1507)11月、大内義興の嫡男として生まれます。 ...

大内義隆

大内義隆と陶晴賢 by 山本一成

... 31代当主であった大内義隆は、異国の文化や宗教に寛大であった。 サビエル自身はマカオに移動して客死しちゃうけど、 山口での布教活動はコメス・デ・トルレス宣教師らによって広め ... 大内義隆の後半生を描いた郷土歴史作家の傑作。 義隆は、その片腕と信じ ...

大内義隆と陶晴賢 by 山本一成

大内義隆とは?

大内 義隆(おおうち よしたか、永正4年11月15日 (旧暦) 11月15日(1507年12月18日) - 天文 (元号) 天文20年9月1日 (旧暦) 9月1日(1551年9月30日))は周防国 周防山口(山口県)の戦国大名である。亀童丸。官位は従二位兵部卿。父は大内義興で長男、母は長門の守護代である内藤弘矩の娘。正室は万里小路秀房の娘、貞子。養子に大内晴持、実子に大内義尊。
1507年に周防・長門の太守である大内義興の嫡子として生まれる。元服後の1522年頃から父に従い、1524年には中国地方の安芸国 安芸に出陣する。岩国永興寺から厳島へ入り、陶興房とともに武田氏 安芸武田氏の佐東銀山城を攻める。しかし8月には尼子側として救援に赴いた毛利氏の毛利元就に敗退する。また山陰の尼子氏とも干戈を交える。

大内義隆の詳細